純子のひとりごと

戦後の思い出日記より

2024年3月20日

8歳から書き始めた日記は73年間になりました。
幼児時期の事は母から聞いた事をその日記に書いたものです。
当時の日記は手垢で汚れ、絵は〇書いてちょんと酷い物。
いただいた2冊のノートはすぐいっぱいになり、たびたび買って書き足し
ました。
束となった日記は整理しながら今までずいぶんいろいろな出来事があった
な~、カメラ屋を営んでいる叔母の誘いで1歳9か月の時母のリュックに入
って姉、兄とともに中国へ。
再び4歳の私をリュックに入れ、姉と兄の手を引いて命がけで舞鶴に降り3
人きょうだいはお陰で残留孤児になりませんでした、この件はとある新聞
に私が書いた記事が掲載されています。
戦争中に生まれ、戦争の事を知らない自分、戦後の何もない不自由な世の中
を書き続けた自分の日記帳です。

日本に帰宅後は国鉄の寮に50人のお兄さん方に良く遊んでもらいました。
寮の近辺には広場があり、切った材木が積み上げられて競馬が数頭いました。
戦後にいた米兵が寮に住んでいた4歳の私と他の寮母の3歳の娘を馬に乗せて
チョコレートや飴などもらった事をほんのりと覚えています。
戦争に負けたのに、当時はとてもうれしかった事など思い出して、日記に書
き続けてきました。

母は仕事が終わると時代劇が大好きで、勤務を終えると小学校低学年から中
学校まで一緒に映画館に。
時代劇は嫌いではないものの、大好きなものはシネマの宣伝にくぎづけ。
映画から帰宅後はひっそりと外人の似顔絵を鉛筆で素早く書き、それを見た
友達は「まったく似ていない」と・・・シネマの内容が忘れられずに脚本家
に憧れました。

14歳の私は原稿用紙298枚に近所の悪たれの男の子をモデルに脚本を書きと
ある撮影所に送りました。
あと2枚がどうしても書けずに残念ながら仕方なく・・・ヒントを入手できる
かと友達に相談、駄目でした。
1か月たって原稿用紙は送られて、よく書けているが書きなおして又送ってと
の内容が書いてありました。
私はショックで咄嗟に全部破り捨てました、15歳になっていました。
一生懸命に書き続けた姿、母の目には高校受験のため頑張っているのだろうと
夜食まで用意してくれたのに・・・本当に親不幸でした。
強烈な思い出です。

写真のダックスの子犬はヘルメットの中、山口市の犬舎にて。
フィルムカメラで撮っているため目が青くなっていますが、実際は真っ黒で可愛
い子達でした、40年弱前の写真です。

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