犬舎の歩み

夫婦二人三脚で作り上げた犬舎

夫婦二人三脚で作り上げた犬舎
おかげさまでフラウジュラケンネルは繁殖歴30年が過ぎました。
自宅の山口市と萩市の繁殖場あわせて思えば長かったような短かったような気がします。
現在の犬舎は、夫と二人三脚でほぼ手作りで作り上げた私達の大切な歴史でもあります。
建物の土台をつくり、骨組みなど手探り状態でつくりあげていきました。
未だ完成していない犬舎に夫は山口市から12匹を引き連れて萩市に引越しました。
11月だったため、凍りつくと引越しは犬達にとって酷だったからです。
しかし、夫は未だ会社勤めの身。
12匹の犬達の世話を終え、早朝5時には山口市に戻って朝食、すぐ出社の毎日。
12時には自宅に戻り昼食を。
17時に会社から帰宅と同時に夕食とお風呂、急ぎ萩市の養殖場にと過酷な一日のスケジュールをこなしていました。
勤めていた会社が10分という利点がありましたが、夫の強い精神力と体力のなせる業だったと思います。

ミニチュアダックスクリームカラーの成功

ミニチュアダックスクリームカラーの成功
私はその頃勤めていた職場を退職し、山口市の自宅で後に運命の出会いとなるボロニーズのキキの親子、ミニチュアダックスの紅子の同時出産でてんてこ舞いでした。
毎日が多忙と不安との戦いでしたが、成功させたい夢がありました。
当時、とても珍しかったミニチュアダックスのクリームカラーの繁殖をするためアメリカからピュアクリームの夫婦を輸入しました。
2004年に夢だった白に近いクリームカラーの女の子と男の子が各1匹ずつ誕生。
全身が白に近い光沢のあるクリーム、白のミスカラーなし、凄い毛量、髭がクリーム、目、アイライン、口真っ黒、爪あめ色。
現在その女の子は足が少しよわくなっていますが、隠居の身で一週間前に11歳になりました。
女の子はNHKのゆうゆうワイドでひと月に2回放映されました。
大きくアップされたチャングムの冴えた顔と歪んだ私の顔。
翌日は大勢のお客様の見学がありました。

運命的なボロニーズとの出会い

運命的なボロニーズとの出会い
ボロニーズとの出会いは、雑誌に載っていた一匹の犬の画像でした。
真っ白ふわふわだが流れるような不思議な毛、見た事のない見事な風貌。
ステイをしたその男の子はイタリア輸入犬との事。
もう、私は目が点になりました。
1988年に前田志郎氏が、6匹のボロニーズを日本に初めて輸入されたのです。
この前田氏の輸入がなければ、現在は日本にボロニーズが存在しなかったでしょう。
改めて、前田志郎氏の努力と実行力に感謝いたします。

ボロニーズと苦難の道をこえて

さて話を戻しましょう。私達はそのボロニーズに惹かれ、 早速メスの子犬を2頭譲っていただけないか交渉してみました。
しかし、私達以外にボロニーズを求める声は多く、ボロニーズ繁殖の夢は幻となろうとしていたのです……。
そんな夢も忘れかけていた時、一筋の光が私達に差し込んできました。
そう、あの時失いかけた夢が再び現実となったのです!
あの6頭のうちの1頭であるイタリア犬・キキと準イタリア犬オス・ココを譲って頂けるという話が舞い込んできたのです。
私達は歓喜にふるえ、この希少犬の繁殖を成功させるのだと大いに心が高ぶっていくのを感じていました。
しかし、この夢は並大抵のものではなく私達は多くの困難にぶつかりました。
その後、日本にある11ヶ所の大手ファームに、繁殖に必要な小型のオスを探してもらったのですが全て失敗に終わってしまったのです。
さすがに私達もこれまでかとあきらめかけた時、東京から一本の連絡が入りました。
「ボロニーズをお探しの事と耳にしました。なんとかお力になりましょう」との嬉しい電話でした。
その後、オランダの犬舎からジョシカ、ゾーイ、ハーモニカの1~2歳の3頭の若いメス犬がそれぞれ違う種オスと交配され、持込腹としての輸入に成功。
更にオランダの別の犬舎から2歳のジアーモと、生後4ヶ月のメリーを夫婦として輸入し、先の3頭のメスがそれぞれ出産したため、当犬舎は大家族になりました。
特にゾーイは、当犬舎に来るまで間にあわずに、成田検疫所で2匹の子犬を元旦に出産したのです。

フラウジュラボロニーズの歴史を作ったアルファ

フラウジュラボロニーズの歴史を作ったアルファ
そのうちの一匹の男の子は、アルファと命名。フラウジュラの歴史を作っていく事になりました。
2015年6月に残念な事に亡くなりました。19歳6ヶ月で老衰でした。
20歳まで生きて欲しかったです。
コンパクトでスクエアで殆ど吠えず、優しい、まったく手のかからない優秀な犬でした。しかし、現在は彼の優秀な血縁が持続しています。
アルファは日本におけるボロニーズの歴史に大いに貢献して偉大なる父としてフラウジュラケンネルを優しく見守ってくれています。
他、イタリアからITA・チャンピオンの直子ミケランジェロを輸入し、私達のボロニーズは成功したのだと思います。
日本のボロニーズの歴史に関わってきたフラウジュラケンネルは、その誇りを胸に当犬舎のお客様のボロニーズの里として、その幕が引かれる日までボロニーズを愛し、育み、責任と役割を果たして参りたいと思います。

フラウジュラケンネル代表 竹重 純子
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